恋だけでは済まない(2)
「はい、それではね。えー皆さん入学されてからね、えー。そろそろ1週間?経ったのかな、えー。じゃあ教科書12ページね。開いてね、えー…」
この講師はそろそろあだ名がつきそうだ。樹は思った。こういうことにかけてのみ絶妙な才能を発揮する奴が必ずいる。
そしてそういう奴が結構好きだったりする。楽しみだ。
大学というところはなんともドライだった。少なくとも樹はそう感じる。小中高は、さぁこれをしなさい。と与えられたものをひたすらこなすことを求められる。でも今は。
自分が何をしたいか、するかを決めて実行。授業に出る出ないも自分意思。サボったところで怒られることはない。ただ出席単位が1減るだけ。出席単位が足りないと試験が受けられない。単位がもらえない。それらは全て自己責任。
急激に大人扱いのほんの初手を仕掛けられる。今年の誕生日でようやく19才の樹には、それすらわからないのだけれど。
「はい、えー…この動詞にかかって、ね。えー、くるのが。この、えー…」
大学で土岐に再会した時は驚いた。本当に声が出なくて動くことも出来なかった。
「……おーい、て。樹?なぁ覚えてねーの?小中一緒だったじゃん。土岐くんだよ。」
「………覚えてる。…てか、え、えっ?なんでいんの?なんで?つか、…あんま変わってねぇな。」
「うっせー、変わってねーんだったら早く見つけてよ。寂しいじゃん。」
そう言って笑う土岐の顔。眼尻の笑いジワが昔よりも深くなっていた。自分たちは確実に年を取ったんだと思った。
最初は純粋に嬉しかった。また会えたことに。昔と変わらず樹と下の名前で呼んでくれることに。土岐が土岐のままでい続けてくれたことに。
次に覆ってきた感情は恐れだった。
胸が高鳴る。心臓の音が自覚できるくらい大きいことに気づく。彼に聞こえていないだろうか?恐い。知られたくない。
土岐を男として見ていることに気付いたのは中学…何年生だったろう。覚えていないが、もう好きだった。彼女ができたと知らされて味わったことがない衝撃を受けた。
泣いた。
あんなに泣いたのは初めてだった。土岐に彼女ができた。土岐が好きなのは自分ではない。自分は土岐が好き。何故。
何故自分は男が好きなのか。
結局どれに対して泣いたのだろう。
次の日には土岐に彼女ができたことよりも、自分がゲイとかいうやつだってことに打ちのめされた。
恐かった。
土岐を好きなことが。
トン、とペンを持つ樹の手の甲に感触があった。左利きの樹と右利きの土岐。隣の席だと彼らの手は近い。土岐はそれをさらに縮めて樹のノートまで進入してきた。もう2人の手は触れている。
『ひるめしは、がくしょく?』
もう昼の話か、樹はチラリ時計を見た。ようやく9時半になろうとしていた。
土岐は時々こうして樹のノートの端に雑談を書く。はっきり言って字はヘタクソだ。漢字で書かれると読めないから平仮名にしろと苦情を申し立てたら、その通りにしてくれた。
『がくしょくだよ』
『おれ かねない』
『たかるな』
『ひとりぐらしだもん おまえじっか』
『ちかごろ かたみがせまいの』
『なにそれ くわしく』
『いもうと ししゅんき』
2人ともペンがよく走る。
土岐は難しい顔を作りながら前を見つつ器用に書きつづる。樹も緩みそうになる表情をどうにか鎮め、平仮名に付き合う。
『ねー おねがーい』
『らーめんでいい?』
『やったー(ᵔᴥᵔ)』
『おいおい かわいっ』
『(๑˃̵ᴗ˂̵)』
『そんかわり コンビニでてきとーにおにぎりかってきて めしがたりねぇ』
『おけー』
甘えられると弱い。男女も年齢も時代も関係ない。惚れたら負け。けれど、それはひどく心地よい。
『いつき すき』
土岐にとってそんな走り書きに意味は無いのだろう。おれも、と書いて冗談にしてしまえばいい。でも書けなかった。言葉にする勇気が無いならせめて書きたいのに。
相変わらず恐い。
土岐が好きだ。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。